
海の日って、なんで祝日なの?



明治天皇とどう関係があるの?
そう疑問に思ったあなたにこそ読んでほしい、歴史と制度の“背景”を丁寧にまとめた一記事です。
1876年の明治天皇巡幸をきっかけに、日本の海洋文化と航海技術の近代化が一気に進んだ——
そんな知られざるストーリーから、制定の流れ、祝日法改正の狙いまで、歴史好きにも教育関係者にも読み応えある内容に仕上げました。
- 海の日の起源と1876年の明治天皇巡幸の関係
- 「明治丸」と日本の航海技術の近代化
- 海の日が祝日になるまでの流れと関係者の尽力
- 祝日法改正とハッピーマンデー制度の背景
海の日の由来とは?明治天皇の巡幸が祝日のきっかけに
「海の日」は、世界で初めて“海そのもの”を称える祝日として制定された日本独自の記念日です。その起源は、明治時代にさかのぼります。実はこの祝日、ある一隻の船と、ある天皇の旅が深く関係しています。
近代国家としての歩みを始めた明治政府が、海運や航海技術の重要性をどう捉えたのか——「海の日」は、その象徴とも言える記念日なのです。
以下では、祝日「海の日」の起源となった明治天皇の巡幸と「明治丸」について、またその背後にある近代日本の国家戦略や航海技術の発展に焦点を当てて解説します。
まずは、「海の日」という名称のルーツにもなった1876年の巡幸に注目してみましょう。
1876年の「明治丸」巡幸とは?海の日の起源を探る
「海の日」の起源は、1876年(明治9年)7月20日に明治天皇が灯台巡視のため「明治丸」に乗船し、無事に横浜へ帰港した史実に基づいています。
この巡幸は、日本で初めての本格的な「海洋国としての象徴的な出来事」とされ、明治政府が国防・航海・海運の重要性を国民に示す狙いも含まれていました。「明治丸」は、イギリス製の鉄製汽船であり、東京大学工学部(当時の工部大学校)で実習船として使用されていたものです。
明治天皇が東京から函館、青森、そして東北各地を巡り、灯台を視察する行程の中で、この「海路での移動」が国として初の大規模な航海となりました。そして、その帰港日である7月20日がのちの「海の日」の由来となったのです。
灯台・航海・海運の近代化を支えた象徴的な出来事
この巡幸のもう一つの目的は、全国の灯台を視察することにありました。
明治政府にとって、近代国家として機能するために「安全な航海ルートの整備」は不可欠。明治天皇の巡幸を通じて、灯台の役割や航海の重要性が広く国民に認知されることになりました。この視察によって、灯台整備の予算増加や人員確保が進み、日本の海運の近代化に大きな弾みがついたのです。
事実、1870年代の灯台整備は国家規模の事業でした。外国人技師・ブラントンの協力のもと、全国に次々と灯台が設置され、明治丸の航海は「海と国の安全」を守るインフラの象徴となっていきました。
“海の日”誕生の背景にある近代国家形成の流れ
明治天皇の巡幸は単なる視察ではなく、「日本が海洋国家として国際社会に歩み出す」という強いメッセージでもありました。
日本は江戸時代まで「鎖国政策」によって、海と隔絶された社会でした。しかし明治維新以降、急速な西洋化の中で海運、灯台、海軍の整備は国策となり、国家の近代化を支える重要な柱となっていきます。
「海の日」は、単なる自然の恵みをたたえる日ではなく、近代国家の形成において“海”が果たした役割と、人々の努力を記憶にとどめる日でもあるのです。



明治天皇の旅路が、祝日「海の日」につながってたなんて驚き!
海の日が祝日になるまで|制定までの時系列と関係者
明治天皇の巡幸から100年以上が経ったのち、「海の日」が正式な祝日として制定されるまでには、民間団体や関係者による長年の働きかけがありました。記念日から祝日へと格上げされた背景には、海洋国・日本としての意識の醸成も大きく関係しています。
次は、「海の日」がどのような流れで国民の祝日へと認められていったのかを、時系列で整理しながら見ていきましょう。
制定の過程をたどることで、「祝日=ただの休み」ではないという、本来の意義が見えてきます。
初の記念日化から国民の祝日へ|制定はいつ?
「海の日」の起源となる出来事が起きたのは1876年。しかし実際に「海の日」が記念日として定められたのは、1970年代に入ってからです。
1971年、当時の海上保安庁関係者らが中心となって「海の記念日」が制定され、7月20日を“海の恩恵に感謝する日”として提唱。主に海運関係者や港湾都市でイベントが開催されるようになりました。
この記念日が広がるにつれ、「祝日としての格上げを」という声が各方面から上がり始めます。特に1990年代に入ると、教育現場や地方自治体からの働きかけが強まりました。
海洋関係者や関係団体が果たした役割と意義
「海の日」の祝日化において最も重要な役割を果たしたのは、海事・港湾・水産など海に関わる多くの業界団体でした。
たとえば、日本海運協会や日本港湾協会、水産庁や文部科学省関係者などが合同で請願活動を行い、海洋国日本としての国民意識を高める意義を訴えました。
また、全国の港町では市民レベルで「海の日制定を求める署名運動」も広がり、祝日法改正のための世論づくりにも貢献しました。地道な運動が政策を動かした典型的な例と言えるでしょう。
1996年「国民の祝日」として正式制定された経緯
こうした動きを受けて、1995年に祝日法が改正され、「海の日」は翌1996年7月20日から国民の祝日として施行されました。
制定当初の「海の日」は明治丸帰港にちなんだ7月20日固定でしたが、2003年には「ハッピーマンデー制度」により、7月の第3月曜日へと変更。この移動には賛否がありましたが、連休化による観光促進や家族での海洋イベント参加が狙いとされました。
いずれにせよ、「海の日」は長年の市民運動と業界の結束、そして国の理解が重なって生まれた、数少ない“近代起源の祝日”なのです。



“ただの三連休”じゃなくて、ちゃんと意味があったんだ!
なぜ7月20日から月曜に?祝日法改正とハッピーマンデー制度
「海の日」はもともと7月20日でしたが、2003年からは7月の第3月曜日に変更されました。これがいわゆる「ハッピーマンデー制度」の適用です。
この変更はただの“日付移動”ではありません。法律改正による制度改革であり、国民の祝日とライフスタイルとの関係を見直す転換点にもなりました。
制度の背景を知ることで、「なぜ日付が動いたのか?」という疑問もクリアになります。
祝日法の改正ポイント|何がどう変わった?
「ハッピーマンデー制度」は、1998年に成立した祝日法改正により、2000年から段階的に施行された制度です。
この改正により、成人の日(1月15日)・敬老の日(9月15日)・体育の日(10月10日)といった“日付固定型”の祝日が、「第○月曜日」へと変更されることになりました。「海の日」もその流れで、2003年から7月の第3月曜日へ移行しています。
目的は「3連休の創出」。家族との時間や観光振興を促進する狙いがあり、祝日を週の始まりに設定することで社会全体のリズムを整えようとしたのです。
ハッピーマンデー制度の導入目的と背景
制度導入の背景には、働き方改革の一環という意図もありました。
1990年代後半、日本社会では「長時間労働」や「休日の分散化」が問題視されていました。そこに「3連休を作ることで、心身のリフレッシュを図ろう」という考え方が広まり、政府主導で祝日の見直しが進められました。
加えて、経済効果を狙った面もあります。旅行・レジャー・小売業界では「連休=稼ぎ時」であり、月曜を祝日にすることで人の移動と消費の活性化が期待されました。
海の日に込められた“意味”は薄れたのか?
一方で、「本来の意味が薄れたのでは?」という懸念の声もあります。
もともと「海の日」は、明治天皇の帰港日(7月20日)に由来する日でした。日付が持つ歴史的な背景が移動によって曖昧になり、単なる3連休として消費される懸念が出てきたのです。
実際、年によっては「7月20日」と大きくずれることもあり、「由来を知らないまま過ごす人が増えている」という指摘もあります。今後は“歴史的意義”と“制度上の利便性”をどうバランスよく伝えていくかが課題となるでしょう。



日付が変わっても、“意味”を忘れずにいたいですね!
他の祝日と比較して見る「制度変更のインパクト」
「海の日」が日付固定から移動祝日へと変わったことは、制度として大きな転換でした。しかしこの動きは、海の日だけに限りません。他の祝日でも同様の流れが見られました。
この章では、「山の日」「敬老の日」など他の祝日との比較を通じて、制度変更の背景や国民意識への影響を考察します。
祝日制度の変遷を比較することで、「今の祝日」が持つ意味と可能性が見えてきます。
山の日・敬老の日との制度移行の違いとは?
「海の日」と同様、制度変更の対象となった祝日に「敬老の日」と「山の日」があります。
敬老の日は、もともと9月15日でしたが、2003年に「9月第3月曜日」に移行。同じタイミングで海の日も移動しています。一方、山の日は2016年に制定された新しい祝日で、当初から「日付固定(8月11日)」としてスタートしました。
この違いは、「祝日の由来」に対する考え方の違いでもあります。山の日は“山に親しむ日”という意味を重視し、日付よりも季節感を優先。一方、敬老の日や海の日は具体的な歴史背景があったため、日付移動に対する違和感を持つ声も多かったのです。
連休化のメリットと「意味の継承」の課題
ハッピーマンデー制度により、多くの祝日が3連休化され、家族での時間や地域イベントの参加がしやすくなったのは確かです。
観光産業や流通業界にとっても「経済効果」は大きく、制度変更の成果は数字にも表れています。特に夏休み前の「海の日3連休」は、国内旅行の繁忙期として定着しました。
しかしその一方で、「なぜこの日が祝日なのか」が置き去りにされがちであることも否めません。意味の継承が伴わなければ、祝日は単なる休日に過ぎず、歴史や文化の希薄化につながる恐れがあります。
「日付よりも意義」——祝日に求められる本質を再考する
祝日の本来の目的は、「休むこと」だけではありません。
祝日は、歴史や文化、思想や理念を次世代に伝える“国家の記憶装置”でもあります。日付を変える制度は有効であっても、その意味をどう継承するかが本質的な課題です。
「意味を知ることで祝日がもっと大切に思える」——その意識こそが、制度改革と文化継承の両立につながる鍵なのではないでしょうか。



祝日は“ただの休み”じゃない。意味を知って過ごしたい!
現代における“海の日”の位置付けと今後の課題
海の日が正式に祝日となってからすでに四半世紀が経ちました。その間に日本社会の価値観やライフスタイルは大きく変化し、「海の日」が果たすべき役割も見直されつつあります。
この章では、現代における“海の日”の認知度や文化的役割、そして今後の課題について考察します。
歴史と制度だけでなく、「今」の海の日がどんな存在になっているのかを見てみましょう。
若年層に伝わっているか?祝日の意義の浸透度
現在、10代〜20代の若年層にとって、「海の日=3連休の一部」という認識が定着している傾向にあります。
実際、あるアンケート調査では「海の日の由来を知らない」と答えた学生が全体の70%を超え、「祝日名は知っているが意味は知らない」という状況が浮き彫りになりました。
この背景には、学校教育や家庭内で祝日の意味を学ぶ機会が減っていることも影響しています。意義を伝える仕組みの再構築が急務と言えるでしょう。
歴史教育との連動で再評価される可能性
「海の日」のような祝日は、歴史教育と密接に連携することで再評価される余地があります。
たとえば、明治天皇の巡幸や明治丸の航海を通じて、近代国家形成の一端を学ぶ教材として活用すれば、祝日の背景にある「物語」がより身近になります。
また、総合学習や地域学習と組み合わせることで、単なる歴史ではなく「自分たちの生活とつながる記念日」としての価値も伝えやすくなります。
文化としての「海の日」を守るには何が必要か
最後に考えたいのは、「海の日」を単なる制度としてではなく、文化として定着させるために必要な視点です。
地域ごとの海洋イベントや歴史ツアー、灯台見学、明治丸の公開展示など、祝日を“体験型”で学べる工夫が求められています。特に子どもたちにとっては、知識よりも体験の方が記憶に残るからです。
同時に、マスメディアやSNSでも「なぜこの日があるのか」を伝える啓発活動が欠かせません。文化は“受け継がれるもの”であり、放っておけば忘れ去られてしまいます。



未来に残すために、今わたしたちができることから!
まとめ|海の日の本当の“意味”が見えてくる
海の日の起源は、1876年に明治天皇が灯台整備を視察した「明治丸」巡幸にあります。
航海・海運の近代化と深く結びついたこの出来事は、後に祝日法と関係団体の尽力を経て「国民の祝日」へと昇華しました。
- 海の日の由来は明治天皇の巡幸「明治丸」だった
- 灯台・航海の近代化と国の象徴的な歩みが背景に
- 祝日法の改正と制度移行の流れも一緒に整理
制定経緯・祝日法改正・制度移行の歴史的流れまでを丁寧に整理しました。



「なぜ今、海の日があるのか?」を明快に理解できる構成となっています。
この機会に、海の日の“意味”を見つめ直してみてください。